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『野生のおくりもの』(早川ユミさん著)読了

意識的に本に出会っていくと、好きな出版社が増えていくのも嬉しい事の一つです。アノニマ・スタジオさんの本を先日購入した際、挟まっていた本の案内から見つけたのが『野生のおくりもの』でした。著者の早川ユミさんは、布作家さん。この本に出会うまでは存じ上げておらず、”縄文”というワードに惹かれて読んでみようと思ったのです。手に取ると、表紙・裏表紙に拡がるミロコマチコさんの絵。それだけで、なにか特別な本だと感じます。0歳の娘はミロコマチコさんの絵に興味津々です。本の中から、心に留めたいことを記していきます。

パナリ焼と死生観

パナリ焼、という沖縄県八重山諸島の新城島に伝わる焼き物のツボです。どんなものかと調べてみると、表面の素材は土そのもの。形はまあるくて、ツボとわかる口の部分がほんの少し存在する、という意外にも素朴なものでした。でも、なぜかその形状に惹かれる、ずっと見ていたくなる、不思議なツボです。

ツボとは、花の蕾に似ていることからツブと呼ばれていたと、日本書紀には記されているとのこと。また、アイヌ語にもよく似たツプッという言葉が有り、これは部屋・空間、そして子宮のことを表すのだそうです。ツボを作るときの姿勢がうかび、丹田のあたりで形になるツボの姿、女性の子宮と一体となって生まれてくる様子が目に浮かびました。

また、このパナリ焼は骨壷にも使われていたそうです。骨壷は、母胎回帰、死んだらまた子宮の中に生まれて帰ってくるという思想に基づくものだそうです。昔の人は、輪廻転生の死生観を持っていたことがわかります。

おくりもの経済

資本主義の前には、物々交換や市場が発展しましたが、その前に存在したのは”おくりもの経済”だそうです。モースという方の『贈与論』という本に書かれているもので、たくさん作物が取れた人は、少なかったひとにあげる。もらった人も、次にたくさんとれたら、足りていない人にあげるという循環です。

お金のことが好きな人、嫌いな人、それぞれいますが、お金を好きになった人(特に、最初は興味がなかったり、お金に苦労した人で)の中には、循環、ありがたいものだと言う人がいらっしゃいます。このおくりもの経済のようにお金のことを捉えていらっしゃるんではないかと、その中にあるありがたさを時代を超えて感じ取った人に、こうした感覚が芽生えるのではないかと思いました。私は、お金のことがようやく身近なテーマとして捉えられたばかりで、ここまで至っていませんけれど、もしかしたらそういうことかも?希望の光が差したような感覚です。

女性というまあるい存在

この本を通して、貫かれているテーマの一つは女性だと感じますが、田口ランディさんとの対談の中に出てきた”女のひとには女のひとのまるいことばがある”ということ。男のひとの言葉とは枠組み、理論を使って説得しようとするものになるでしょうか。情報や、データで示されても、わかるけれど、納得できない、共感できないということは、女性には特にあるのではないかと思います。よく夫が「なぜ、明確なデータが出ているのに、やらないのか?」「会社員なんだから、それくらいややって当然」と言っていますが、夫の言い分もわかるけれど、「やらない当事者」の気持ちもよく分かります。

私の活動先の幼稚園という場所は、女性ばかりの職場です。昔は一人だけ男性の先生もいましたが、今は先生は女性のみ(運転手さんなどは男性もいます)。そして、こうした幼稚園や保育園で働く女性たちは、言語での表現が苦手だと言われています。もしかしたら、本来苦手なわけではなく、男性の言葉、言語に合わせるのが苦手だということかもしれません。うまくそこを渡り歩いて、橋渡しをできる人はそう多くはいないのかもしれません。

ミロコマチコさんの絵と野生というキーワード

とにかく、この本のタイトルとミロコマチコさんの絵のイメージがぴったりと合いすぎていて、読んでいるあいだ中、「野生」という言葉が私の中に居座り続けていました。あまりにも自分の中に「野生」が居座りすぎて、「あれ、この本のタイトルなんだっけ?」と見返して、「あ、『野生』って入っている!」と驚いたので、文章とミロコマチコさんの絵が発するメッセージ性の強さなのだと思います。そういえば、この本の表には、タイトルが書いていないのでした!

来月に出産を控えた友人から「もう3回目だから、少しは落ち着いて生みたい」とメッセージが来たので、「そんなに落ち着いて静かに生むものじゃなくても、取り乱しても生き物らしくていいんじゃない」というようなことを伝えました。出産で発するエネルギーは、まさに野生そのもの。痛かったら痛いと言えばいいし、そのまんまの姿で別に大丈夫だし、信頼できる助産師さんは、きっとそれを受け止めてくるはずです。

他にも、アイヌ語のありがとうは「自分を殺す」という最高の尊敬語、山崎ナナさんという会津木綿を継承した方、コミューンを提唱するアリシア・ベイ=ローレル、ガンディの思想する布、読めば読むほど心に響くことが溢れている本でした。

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里山はartの場?/『ケルトの魂』より

鶴岡真弓さんの『ケルトの魂』という本を読了しました。音楽・写真・祭・神話…様々な角度から、対談を通してケルトの文様文化について記している本です。鶴岡真弓さんの紡ぐ言葉の響きが美しく、アイルランドと日本の不思議なつながりを感じずにはいられない内容です。

私にとって、本はイマジネーションを与えてくれるものです。努力して読む、勉強のために読むといったものでは無くなり、少し先の未来を想像させてくれ、本から本へと渡り歩いているうちに、現実世界でも行動や学びを重ねて、気がつけば自分がまた別のステージに居る(そして、また別の本と出会う)、という感覚です。そうした意味で、『ケルトの魂』はいくつものイマジネーションを与えてくれる本でした。本日は、『ケルトの魂』の中から、芸術的存在についてまとめていきたいと思います。

芸術的な存在とは

Sense of Order/規則的秩序

著書の中に、「Sense of Order」という言葉が何度か出てきます。「規則的秩序」ともありますが、字の如く、たんたんと機械的に、規則的に進んでいく物事や日々、ハレとケであればケ、何かをKeepする。そういったごく普通の日常のようなもの、ルーティンのようなものです。

一方で、それを壊す、打破する存在が突如現れる事があり、ハレとケの関係ではハレのようなお祭りのような、特異なものにあたります。私は、もしかしたら、これに対峙する言葉は「Senso of Wonder」(レイチェル・カーソン)なのではないか、と思ったのですが、これはまた別の機会にまとめたいと思います。

この、「Sense of Order」/規則的秩序と、それを打破するものが常にせめぎ合うもの、それが芸術だと著書には有ります。

生け花での例え

また、生け花を通しても上記の芸術について書かれています。存在としての花、自然物の花は、人の手を通すこと(生け花という作品になる)によって、「華がある」という意味での「花」に変容するのです。

人の手を介す、という意味ではart(人為的、人がつくったものという意味で)という言葉にとても近い表現であり、とてもわかりやすい例えのように感じます。

規則的な秩序と、そうではない理解しがたいものとの合間を、両者ともを見つめながら(言葉に出来ない思いと、言葉にしなくては理解されないというせめぎあいのようなもの)、自分の手で何かを形作る(それは、自然を人の手によって改変する行為)、という精神性を伴った活動であると思いました。

里山の芸術性

視点が変わりますが、私の活動の一つに里山でのあそびというものがあります。この里山という存在が、この存在自体がartであるように感じたのです。里山とは、もともと、自然界と人間界の境界線のような役割と定義されています。この、山という自然を、自分たちを元気にするため、癒やすために、作り変えるという行為に、生け花的な花の改変にとても近いものを感じたのです。

また、以前の里山活動の中で、普段の里山遊びでは、大人が子どもの活動を制限してしまいがちだが、一度それを極力取り払い、子どもの願いを尊重したり、大人自身も童心に帰る気持ちで山を楽しもうということをやりました。その日は、里山の遊び場に大人と子どもの楽しそうな声が響き渡りました。それは、普段の「Sense of Order」の生活から解き放たれ、一方で、里山という決して安全とは言えない環境で(クマやイノシシが出ますし、崖から落ちるような危険もあります)、自分たちをどう開放していくかという、せめぎあう精神性も存在しているのです。

日本には、里山として開放された場所がたくさんあると思います。その全てを見てきたわけでは有りませんが、きっとそれぞれにテーマ性をもち、活動しているのだと思います。私の携わる里山は、芸術・artを通して見つめていきたいと思いました。幸い、この土地は芸術による町おこし、アーティストの移住なども進めている、artに関係の深い町にあるのです。

次の大型連休には、子ども・家族・アーティストが集い、山でのアート活動をやってみたいと目論んでいます。きっとそこで、次のテーマが見つかるのだろうと思います。

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今日は触覚の日

言葉で伝えることに 疲れてしまったときに借りた 『声めぐり』(齋藤陽道さん著)。齋藤陽道さんは、聴覚に障がいのある写真家さんです。いつも買っている雑誌で読んだエッセイを見て、伝えたいことをすべて、言葉に変換することについての疑問に寄り添ってくれた気がして、以来、写真や文章にも触れてみたいと思い読んだのがこの本です。

言葉じゃないものとは、表情、仕草、匂い、、、など、色々と想像を膨らませていましたが、読み終えて得られたものは、「触れる」、「触覚」でした。

視力が大人よりも弱い赤ちゃんが頼りにするもの、それが触覚。

こだわりの布でつくられた赤ちゃんへのおくるみを、自分でも触れてみたら心地が良くて、ずっと包まれていた話。それは、先日聞いた、シュタイナーを研究する若き哲学者、竹下先生の講演とのつながりを感じました。触覚は、人間の原体験、産道を通るその感触を記憶して出てくるのだということ。お気に入りの布に包まれて、「触覚」の原体験を味わう時間もあり、私も齋藤さんと同じことしたなーという思い出にもつながるお話でした。

子どもの頃の父親の記憶は、触覚に宿っていた話。

私のところにも、月齢3ヶ月の赤ちゃんが居てくれているので、その子を想いながら、読んでいました。

少し前に、陣痛の度に、お母さんの産道はガチガチからふわふわになって、そのふわふわの産道を赤ちゃんが通ってくるという話を聞きました。もっと早く知っていたら、お産がもっと幸せな時間だったかもしれないな、なんて想いました。

今朝は、熱を出した4歳の長女を兵児帯でおんぶして、病院へ連れていき、背中がとても温かかったです。今日、雨が降っていなかったら、バギーに乗せて連れて行っていました。

兎に角、今日は触れることに溢れた日でした。それが、齋藤さんの本によって、より際立った気がします。

家族にたくさん触れたいなぁ。

お手当ってやっぱりいいなと実感です。

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読了記『あるがままの自分を生きていく』

『あるがままの自分を生きていく インディアンの教え』読了。痛み、自然との繋がりを教えてくださいました。痛みを感じる経験が如何に尊いか。1人目の出産は麻酔を使いましたが、今度は自然に産んでみたいと思いました。

中でも、Tree of life 生命の木の絵。和みのヨーガに感じる母なる大地と、天からの光や導きのイメージにあまりにもマッチしていて驚きました。

木の幹の中心には無条件の愛や根拠のない自信と言った自己肯定感が表現されており、木の外皮の部分は有能感として獲得した自信として表されています。

自分の家庭内に置き換えてみれば、私は娘に安心できる場所、あるがままの自分を認めてもらう場所としての幹の内部を提供しており、夫は子どもの得意な事を伸ばしてあげたい、外の世界で様々な経験をさせてあげたい、という外皮の部分を、両方から形づくる役割をしているのだなぁと思いました。

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宇宙と佐治春夫先生の本

素敵な場所を見つけました。東京 御茶ノ水近くの オーガニックカフェ 晴れ屋 さん。素敵な本にも出会いました。リサイクル本で購入した佐治晴夫先生の本。

今年の私のテーマは宇宙と星との繋がり。科学と愛の両方を持って教えてくれる人だと確信しました。

佐治先生の著書、これからたくさん読みます。

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