私のお産の記録2〜分娩当日〜

産前の記録からだいぶ間が空いてしまいましたが、分娩の当日の記録を記します。生まれる前日の明け方、自分の身体なのに自分のものではないような不思議な感覚で夢と現実との間を行き来していたのを覚えています。

陣痛のはじまり

陣痛が始まった日は、夫の友人が自宅に遊びに来るというその日でした。予定日が近かったので、もし産まれてしまったら予定はキャンセルにしようと決めて、そして、料理はなにかケータリングを、とのことだったのですが。

前日、明日はローストビーフを出したいとの夫。スーパーで塊肉を買ってきました。となると、ケータリングではないのでは、、ということでいつも通りせっせとローストビーフを仕込み、一緒に出すサラダやらパスタやらトマトスープやらハード系パンやらデザートのケーキやらの準備に追われて、ちょっと陣痛が早まってしまったかもしれません。

夕方に娘を幼稚園に迎えに行くあたりから、ちょっとお腹のあたりがおかしいなと思って、お腹が痛いなと感じて、ちょうどトイレにも行きたかったのでそのせいかもとやり過ごしましたが、ディナーの準備の途中でやっぱりこれは痛い、となり。料理も鍋に入ったままで一応出来上がったので、作業終了。

しばらく様子をみましたが、病院に相談して早めに病院へ移動しました。

病院にて

早めに入ったので、結構余裕というか、ここまでの陣痛の痛みは前回の分娩でも体験していたし、和みの仲間に感謝したりして過ごしました。

しかしながら、本陣痛がはじまるとやはり未知の痛みにどうしようもなくなり。麻酔分娩では体験できなかったテニスボールで痛いところを抑えてもらうとか、おお、これか、、なんて考えたりしました。

それ以上の陣痛が来たとき、痛いのですがなかなか子宮口が開かず。泣き言を言っていました。「もう無理、痛すぎる、なんでこんなに痛い目に遭わないといけないんだ」などなど。でも涙は出ません。きっと痛みをこうして紛らわす術です。それと同時に、「もう帝王切開にしましょう」とか言ってもらえないかなとどこかで期待していました。「うまくできない、いきめない!」と泣き言をいったとき、「大丈夫、ちゃんとできてるよ」といってくれた助産師産の言葉のなんとありがたかったことか。

痛みへの覚悟

子宮口が開かないので、もう少し様子を見て進まなかったら促進剤を使いましょうかと言われました。「はい」と返事はしたものの、なんだかそれだけは絶対にいやな気がして。そこから覚悟が決まりだしたと思います。

もうすぐ出そうなんだけど、赤ちゃんの向きがちょっとずれている、体勢を変えてみましょう。そう言われても、痛くて動けないし、感染症の恐れがあったので点滴をしながらだし、心拍モニターも付いているし、ベットだから落ちるんでないかと怖くて、動きづらい。加えて、靴下を履いていないので足が冷える、夕飯の支度でにんにくを切ったから手が匂う。気がかりなことだらけでなかなか動けませんでした。

最後、もうすぐ出そうというとき、お尻が痛いのが怖いのです。頑張れば、赤ちゃんも出てこられるし、お産も終わるのはわかっているのに、お尻が痛むのが怖い。前回の麻酔分娩では、お尻の感覚は全くありませんでした。いきむのは怖くないのですが、「いきむって何?」って感じでよくわからないのです。その「いきむ」という感覚、今回はよくわかります。でも、怖いのです。でも、最後は覚悟するしかなくて、次の強い陣痛で出しましょう、という助産師産の声掛けで、良しと覚悟をきめました。最後は取り上げの専門家の方のような方も加わり、出ました。。。

もう、助産師産には感謝しかありませんでした。一生忘れられない方だと思います。前回の麻酔分娩では、逆で、助産師産の顔はあまり思い出せませんが、検診時からお世話になっていたので医師の方のお顔はよく覚えています。

夫の立ち会い

前回の麻酔分娩では、夫はもっぱら撮影係。水分補給のために飲み物などは手渡してくれますが、それ以外はカメラを持って立っている。そして、血が苦手なので、生まれる直前に倒れてしまい、肝心なところは撮影できずに別室へ。

今回は、痛みを乗り越えるのに、実際に手を動かしてサポートしてくれたのはもちろんですが、助産師さんが部屋を不在にしている間に、ひとりにならなかったことが本当に心強かったです。そして、最後まで倒れませんでした。

当初は、立ち会いはどっちでもいい、一人で産んでくるかも。と気軽に考えていました。立ち会いには特に深い意味はないものと。でも、これほど心の支えになるとは知りませんでした。

お産の振り返り

入院期間中、担当してくれた助産師さんが病室に来てくれました。尚、大きな病院なので、最初から同じ助産師さんがついてくれたわけではなく、何人も交代してみてくれていました。最後に出会った助産師さん、本当にエンパワーメントの力があって、アロマや三陰交マッサージもしてくれて、赤ちゃんはこの方が来るのを待っていたのではないかというくらい、若いのに素敵な方でした。

助産師さんは、一緒に病室でお産の振り返りをしてくれました。「とても経過は順調だったんですよ」と言ってくれました。その前までは、私のお産は二人目なのに全然楽ではなく、安産の部類には入らないだろうと思っていました。けれど、一緒に振り返りをしてくれたら、そっか、大丈夫だったんだと、認識がガラッと変わりました。

助産師さんのサポートの力が大きいこと、家族の支えを感じられるお産の経験でした。

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絵本の選び方

先日、和みのヨーガインストラクターの友人が自宅に遊びに来てくれました。本屋で働いている彼女は、出産祝いにも絵本をプレゼントしてくれるほど本が大好きです。自宅の本棚にある絵本を眺めながら、「絵本はどうやって選んでいる?」という質問をもらいました。今まで、絵の好みや話のおもしろさ、信頼できる出版社かどうかなど、漠然として特に意識してきたことはありませんでしたが、改めて、どうやって絵本を選んでいるか、考えてみる機会になりました。

絵本の役割

幼稚園教諭の資格を取るために通っていた大学や、娘の幼稚園で言われているような一般的な絵本の意味はいくつかあります。

  • 伝承的な意味合い
  • 子どもが絵本の世界観に没頭できる、想像力を育む
  • 自分のネガティブな感情を逃してあげる場所

など、決して文字を読めるようになるとか、論理的な構成力を育てるとか、そういった左脳的な意味合いというものはあまり語られていません。よく、大人が(特にお父さんかも)絵本を通して文字を教えることがありますが、私は絵本は文字を教えるツールとしてはあまり適していないと思います。文字の読める大人は、絵本を読み聞かせてもらうと、絵ではなく、文字を追います。でも子どもが見ているのはあくまで絵です。絵を楽しんでいるのであれば、あえて文字をそこで教えなくてもいいと思うからです。

絵本は平等なコミュニケーション

我が家でも、絵本は文字を教えられないから意味がないとか、ナンセンス系の絵本は教訓もストーリーもないから読まないほうがいいとか、そういう話が飛び交っていないわけではないです(私は、ナンセンス系絵本の代表、長新太さんの絵が好きです)。家族みんなが同じ本を大好き、というわけではありません。その壁を越えようとして、ちょっと躍起になっていたと思いますが、『日本における子ども絵本成立史』(ミネルヴァ書房)という本から、日本における絵本文化の歴史を学ぼうとした時期もありました。

結局、今私の中に一番残っているこの本からのメッセージは、

 絵本は子どもの心の糧である、とか絵本に親しむことによって子どもの想像力が育つ、とか、子どもによかれと思う配慮で絵本を子どもに与える大人の立場というものがある。わたしもそういう絵本の効能を疑っていない。大人のわたしの心の中にもそういう教育的な思いが全然ないかといえば、それは嘘になるかもしれない。けれどもやっぱり、絵本を手にこどもの前に立った時の私の気分は、そいういう立場とは違うような気がする。(中略)絵本をよむということは、対等な相手となにかを創りあげる共同作業なのだと気がつく。わたしにはこの対等感がこたえられない。(中略)大人と子どもがそれぞれの垣根をとっぱらって同じ楽しみを共有する時間、それが絵本をよむ時間だ。しかも大人と子どもの感性の立場が違うとうことが決定的に面白い。

という、長谷川摂子さんの絵本観でした。大人と子どもが「対等な立場」に立てる。それは、言語だけに頼らないからこそ実現できるのではないかと思います。絵本の絵と、文字が主体の本にある挿絵と、絶対的に違うのは、絵本は、細かなストーリーの前に、絵でのイメージがあり、そこに言葉を紡いでいったということではないかと思います。言語が先に立たない、ということに、大人の世界で使われている言語が絶対ではない世界があるのだと思います。

言語を飛び越えて、言語とつなぐ

私は、自分の思いを言葉であらわすということが、小さな頃から苦手だったと思います。うまく言葉で出てこない。そんなとき、絵を描くことや写真を撮ることで、絵や写真が私の代わりにアウトプットしてくれていると感じていました。たとえ、相手に受け取ってもらえなくても、なにか、自分の感情を外に出す。それだけで、モヤモヤとしたもの、苦しみから開放されていました。(だから、小さな子は絵を描くのが好きなのかも)

小さな子どもであれば、言葉に出来ないことがあっても当たり前のように思いますが、本当は、大人にも、感じ取ったもの、表現したいものが実はたくさんあって、言葉にできないことがたくさんあるのだと思います。言語化することは、自分以外の誰かと何かを共有する上でとても便利なツールです。でも、言語が絶対で最上位のコミュニケーションではないとも同時に思います。両方を心地よくつなぐことで、相互に理解が深まるのだと思います。

そんなとき、言語で語りすぎない絵本があれば、あまりにも理路整然としていない遊びのある絵本があれば、イメージ(メッセージやエネルギー)と言語(ツール)をつなぐことができるのだと思います。絵だから言語よりも下位のもの、かんたんな言葉だからダメ、難しい言語が良い、でもなく、絵本の前では誰でもが平等に、思ったことを言葉にしても良い、大人も子どもも関係なく楽しめる本。そんな本があれば、私は手にとってみたいなと思います

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自分を本当に褒めてあげられるのは、自分自身だけ

タイトルにもありますように、「自分を本当に褒めてあげられるのは、自分だけなんじゃないか?」ふとそんなことが頭に浮かびました。

私が高校生だったころのことだと思います。福島県の静かな道を伯母と二人で歩いていると、私のことを「雑誌の中の人みたいね」と仰った女性の方がいました。私はそのころおしゃれが大好き、雑誌を買い漁ってはファッションの勉強をして、アルバイトで頂いたお金はほとんど洋服代に使っていました。ですので、これは褒め言葉に違いないと思ってありがたく受け取ったのです。

しかし、伯母は声をかけていただいた方とさよならしたあと「なんだか、恥ずかしいわね。そんな田舎っぽい服は着ないほうがいいんじゃない?」といったことを私に言いました。伯母にとっては、それは褒め言葉では無かったようです。

そのとき、きっと伯母は、私のことを「恥ずかしい」と思っていたのではないかと思います。伯母の価値観からすれば、安くて、なんだかよくわからない造形の服を着て、、もっとフォーマルで上品で、気品のある皇后美智子様みたいな服を着てほしいと思っていたようです。でも、私が当時来ていた服は、渋谷や原宿の若者が好むようなカジュアルで、色も派手で全く違うものでした。それでも、自分としては納得の行く一着、という気分でした。

結局、その女性がどういう意味で「雑誌の中の人みたい」という言葉を使ったのかは、今となってはわかりませんが、同じ言葉でも、受け取る人によって全く違う意味に捉えていたのです。

たくさんの褒め言葉をもらっても、それがどんなに素敵な言葉でも、受け取れる人と、受け取れない人がいます。そして、褒め言葉を受け取れる人は、自分のことを褒めてあげられる人だと思います。

「自分なんてまだまだ」、「もっとすごい人はたくさんいる」と自分を褒めてあげられない人は、きっと自分にものすごく高い理想を掲げているので、褒め言葉とは感じられなかったり、社交辞令に聞こえたりするのだと思います。

自分のことを認めて、褒めてあげられると、他の方からの褒め言葉は百人力です。頂いた言葉を、自分から自分に向けて再発信をして、自分を褒めている、ということなのではないかと思います。

「誰かに褒められてみたいな」「私もあの人みたいに素敵になりたいな」と思う方は、まず自分自身をたくさん認めて褒めてあげてくださいね。

そして、私自身にも本日はある気づきがありました。私は、皆さんが「自分は素敵だな」と思えるような、「私は無敵だ」と高い勘違い力を身に着けていただけるような、そんなお手伝いがしたいなと思いました。

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私のお産の記録1〜自然分娩の選択まで〜

令和元年の8月に次女を出産しました。長女の出産の頃、自然派とは縁遠かった私は、とにかく痛いのは嫌だと麻酔分娩(無痛では無く和痛)を選択しました。次女の出産も、同じように、麻酔を使うのだろうかと考えてはいましたが、最終的には自然分娩を選択しました。どんなお産も、それぞれに素晴らしい体験なのだと思います。そんな風に思えるようになった、次女のお産の記録を、記憶が新しいうちに綴っておきたいと思います。

自然分娩を選択するまで

とにかく、私は痛みに弱いのかもしれません。小さい頃から、何故か首筋に何かが触れることがとても恐怖だと感じており、ネックレスやタートルネックは勿論、掛け布団が首に触れても眠れないほど。

長女の出産後に出会った、大好きな子育て支援の場所で、すっかり自然派お母さんのようになった私は、自然なお産についての情報はたくさんもらっていましたし、一人目は麻酔を使ったけど、二人目は自然分娩と決心したお母さんがいることも聞きました。それでも、私には無理だろうなと思っていました。当時は、周りの自然派の人達に、麻酔分娩を経験したことを話すことができませんでした。

私にとってネガティブな痛みについての概念が変わったのは、ネイティブインディアンについて書かれている松木正さんの著書『あるがままの自分を生きていく』を読んでから。男性たちが、ある修行の一貫の最後のセレモニーとして、自分の身体に付けたピアスを引きちぎるということが書かれていました。痛みが嫌いな私は、なぜそんなことを?と思いましたが、同じ痛みの経験としてお産のことが頭に浮かびました。女性にしか経験できないお産の痛み。それと同じ位の痛みの経験をするために、男性たちはここまでするのではないかと、だとすれば、痛みを経験することになにか大切な意味があるのかもしれないと思いました。でも、このときも、どうしても痛くて耐えられなくなったら、麻酔にしてもらおう、くらいに考えていたと思います。

その後、和みのヨーガで心身を整えていくうちに、今の自分なら大丈夫、心身の状態も以前と違って整っているから、と自然分娩に決めました。どうしてそう思ったのか、それはちょっとよく覚えていませんし、特にこれというきっかけもなかったのだと思います。

二人目のお産は自然分娩で産むというと、結構周りの人には驚かれるというか、興味本位なのか色々聞かれます。まぁそうだよな、と思うのですが、「海外では無痛分娩があたりまえ」というキーワードが私の中でひっかかり、海外のお産について調べ始めました。特にこれという手がかりは得られなかったのですが、、出産の1ヶ月ほど前になり、昔、友人から教えてもらった「Orgasmic birth」という映画についてふと思い出しました。その映画を観る機会はお産前には有りませんでしたが、「Orgasmic birth」について調べることはできました。”Pain to Power”という痛みに対するポジティブな言葉、恐れは痛みを増してしまうこと、お産には、痛くて苦しいものというイメージは、以前は無かったのだということ、そんなメッセージが有りました。

そして、お産の1周間ほど前に手にして読んだ雑誌の三砂ちづるさんのインタビュー。「昔の人はもっと楽々産んでましたからね」ということが書かれていました。お産に向けて、着実に応援のメッセージを一身に受けていたと思います。私は、大丈夫、と落ち着いた精神状態でお産を迎えることができたと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。お産当日の体験については、改めて綴りたいと思います。

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パートナーシップに悩む女性に届けたい言葉

最近メルマガ購読をはじめた、椎原崇さん、ビジネス・仕事・ライフステージ全般の情報発信がある中で、パートナーシップのお話も発信されています。先日のメルマガで配信いただいた、あるパートナーシップのお話。すごく良かったので、是非、悩める女性に届いてほしいのでシェアします。

家庭(子ども)持つ男性の言葉だから、すごく響きます

きっと同じことを、過去に、私に伝えてくれた人は何人か居たと思います。もちろん、その言葉は、そのとき受け取れる範囲で有り難く受け止めていましたが、説得力・納得感が格段に高いです。きっと、家庭を持ち、お子さんを育てる男性からの発信だからこそ、なのではないかと思います。

メルマガの記事(「女性の仕事」) → ブログ「お母さんは幸せでいよう

の流れで、合わせて読んでくださいね。

メルマガ本文シェア(「女性の仕事」)です

今、恵比寿の自宅にいます。
時間は深夜ですが「ファッションショー」を見ています。

それは、ネットやテレビで見ているのではなく
目の前で嫁がファッションショーをしているのです(笑)

僕は自分で服を買っても言われないとわざわざ見せないタイプなのですが、
嫁は新しい服を買うと、それをファッションショー形式で毎回見せてくれます(笑)

新しい服同士のコーディネートはもちろん、
既存で持っているものとの組み合わせも見せてくるのです(笑)

そして、

それをしている時の
嫁がめっっっっちゃめちゃ嬉しそうな顔をしているのです^ ^

そんな嬉しそうな嫁の笑顔を見ると、

幸せだな~って思うし

もっと頑張ろう!って思う

結局、嫁が幸せそうに笑っているのを見ることが、
僕が一番幸せを感じることなのかもしれない。

嫁が幸せを感じている状態が、
僕とオチビッタの幸せな状態を作ってくれる。

ってことは、嫁が楽しめるようにするのが一番良いよね。

だから、

椎原家では、

嫁が好きなことにお金を使ったら褒めるようにしました(どーん)

「めっちゃ気に入ったスカート買って偉いよ!!」

みたいな感じです(笑)

すると、嫁も気持ちよくお金を使えるので
ますます笑顔になる、

すると、僕もオチビッタもますます幸せ。

みたいな感じになるのです。

男性は与えることで幸せを感じて、

女性は受け取ることで幸せを感じる。

女性はたーーーくさん受け取って
クッッッソ幸せでいることが一番の仕事なのだ♪

こちらも合わせてどうぞ↓

「お母さんは幸せでいよう」

https://ameblo.jp/jibuncompany/entry-12397979718.html

※出展:椎原崇さん 7月11日配信メルマガ「女性の仕事」

自分が幸せでいられるように

女性性を持つ皆様、頑張りすぎなくて大丈夫です。役に立とうとか、必要とされようとか、考えなくて大丈夫です。愛情をたくさん、上手に受け取ってください。女性が笑顔で、心穏やかに、幸せそうにしていることが、何より男性の幸せなのです(逆に言うと、そうでない男性から頂くものは、本当の愛ではないとも言えるかもしれませんね)。もし、お子さんがいらっしゃる方は、お子さんの幸せでもあります。私も、娘から「なんでママはいつも笑顔じゃないの?」と、思いもよらない言葉を頂いて、驚愕したことがあります。自分では全くそんな気はないのに、むしろ笑顔でいるつもりだったのに、です。

椎原さんのメルマガ、気になった方はこちらから登録出来ます。(https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=HSabopo

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