陰陽調和。陽が強すぎると、陰が疲弊してしまう。

陰陽調和の陰の部分には、「受け止める」「流す」という役割があるそうです。

そして、最近は受け止めることが多すぎて、疲弊している部分もたくさんある様です。

それは、陽のエネルギーが求められて、使われていくから。鏡の陰も同じように働かなければ調和が保たれません。

昨日から今朝の明け方にかけて、受け止め過ぎが、限界を超えそうになり、いつもは何でもないことが、受け止められなかったり、流すことが出来なかったりしました。

人は、そんな時、簡単に魔が差したようになるのですね。

過ぎる前に、休む、緩める、偏りを戻す事が、本当に必要だと思いました。どうしようもなくなる前に、和みのヨーガを届けられたらと、強く思いました。


各種セッションメニューの予約サイト等は準備中ですが、個人セッションのご依頼は各種受け付けています。疲れすぎる前に、ぜひ。

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パパの子どもの叱り方が、気になっている、優しいお母さんへ

やさしいお母さんは、自分のお子さんが、頭ごなしに叱られたりとか、大きな声で怒鳴るように叱られるとか、嫌だなと感じたり、心配だったりしませんか。お子さんが、「怒られても仕方ないよな」というような事をしていればまだしも、お子さんも繊細でやさしくて、「イタズラなんて出来ません!」というタイプだと尚更ですよね。そして、その大きな声で怒るのが身近なパパだと、、心配事やストレスが増えちゃいます。

そういう相談を受けたら、つい、「人生の先輩たちは何て言っていたかな…」と考えを巡らせてしまうのですが、今日は、私自身はどうしていたか(いるか)ということをお伝えしていきます。今の時代に、同じ様に子育てをしている私にしか、応えられない事があるかも知れないから。

パパはなんで怒っているのでしょう

子どもが何かあって泣いていると、「泣くのはやめなさい!」と頭から力で抑えようとしているように見えるパパ。うちもご多分に漏れずそんな時期がありました。そうすると、お子さんの泣き方もエスカレートする。。。パパの言い分は、

  • 落ち着いて感情をコントロールして欲しい(すぐに)
  • 泣いたら自分の思い通りになるという思考を捨てて欲しい(今すぐ)
  • 周りにも迷惑(かなぁ)

最後は、ちょっとおまけみたいな感じですけど、概ね「しっかりとした大人になってほしい」という、子どもへの愛情表現です。お互いに落ち着いて話ができれば、子どもにも伝わるところも多いし、パパ自身も伝わって「良かった」と思えるのですが、この「すぐに、今すぐに!」という気持ちがあって、大声を出したり、強く言ってしまうのです。結果が早く欲しいんです。お母さんみたいに待てない^^;

自分がどう育てられたかという連鎖

パパがそうしてしまう理由の1つは、自分も小さい頃にそうやって育てられたから。パパも子供の頃に、自分の父親やおじいちゃんなんかに、そうやって叱られながら育っているので、他の手段を知らなかったりします。

一方ママの方は、「小さい頃、お母さんに一度も怒られなかった」という方、結構いらっしゃいますよね。私も、母親が怒っているところは一度も、見たことが有りません。なので、”お母さんは怒ってはいけない、怒らないのが良いんだ”と、パパと真逆の価値観を持っている事がよくあります。

パパとママ、お互いが真逆の価値観を持っているので、相手が極端に見えるのです。それでちょっと、怒っている人を見ると、ママの心がざわざわする。

また、パパの方は「ママが叱らないから、自分がやらなくてはいけないな!」と頑張ってしまう、とういこともあります。

男性性と女性性の違い

「そもそも相手は違う生き物」と思っていると少し気持ちも楽になります。男性性・女性性の違いをお伝えしておきますね。

男性性は、まっすぐに、目標に向かって突き進むエネルギーが強いです、先人の知恵を学んで、早く目標に到達しようとする。反対に、女性性は、振り子のように揺れながら、行ったり来たりして、自分で確かめながら、ときには間違ったり失敗しながらバランスを取って進んで行きます。

男性性は、優れた手本を見せて、「ここまで到達しなさい」と子どもを引き上げるエネルギーになります。女性性は、「出来ても、出来なくても、どちらでも大丈夫」と、どんな事も受け止める、温かいゆりかごのような役割を果たします。

女性だから、女性性しか持っていないということはなく、両方持っているけれど発揮する割合が違うので、お父さんとお母さんの役割は、そのまま男性性と女性性の違いに現れたりします。

こうして、それぞれ役割が違い、協力して子どもを育てている、と考えられると、「私は(母親は)、子どもが安心できるような環境を作ろう」と、後でお子さんを甘えさせてあげようと思ったり、一緒に好きな絵本でも読もうかなと、状況に心が乱される事なく、長い目で見ながら、立ち振る舞うことも出来るかもしれません。

ママを守りたいという気持ち

パパは、あまり表に出さなくてもママのことを大切にしています。守りたいと思っています。なので、子どもが大変な状態になるのは、「ママを苦しめている」と思っていることがある気がします。

なので、「子どもが泣いていると手がかかる、ママが大変になる、今こそ自分がなんとかしなくては!」とママのためを思って、子どもに厳しくしているケースもあると思います。お母さんが怒らないタイプなら尚更です。

それでも、子どもの心が心配なときはママも立ち上がる

そうは言っても、「ちょっとそれは行き過ぎでは」という時もあります。そう感じる場面では、私もすぐに「そういう叱り方はしないほうが良い」と止めに入りました。

娘が3歳〜4歳の頃、「大泣き」「癇癪をおこす」泣き方がどんどんエスカレートしていく、という時期がありました。(因みに、5歳になった今は殆ど有りませんので、年齢的なものもあると思いますよ。)

ある時、お出かけに連れて行った小さなお人形を無くしてしまい、泣いていたうちの娘。最初は、両親揃って「残念だったね、悲しいね」と気持ちを受け止めていました。そして、数分たっても泣き止まない、ちょっと泣き方が強くなってきた、というタイミングでパパのほうが「落ち着いて!泣いても自分の思い通りにならない!」と大声を張り上げ、繰り返し繰り返し、オウムのように言い聞かせようとしていました。

それ以前の数日も、何度もこの繰り返しを見てきて、そのときも、その後も、特に状況が良くなったように思えなかった。「それじゃちゃんと伝わらないよ!」と思ったので、「今、こうして強く言うことがもっと混乱させているよ」と伝えました。多分、全く上手に伝えられなかったです。その後、夫婦間でなにかの結論に至ったとか、そういうことも無かったです。でも、不思議とすぐに娘がものすごく落ち着きます。さっきの騒ぎは何だったの?というくらに、ケロッとして楽しそうにしていました。多分、「ママが、黙って見ていないで、助けてくれようとした」というのが伝わったんじゃないかと思います。

たまには家族に甘えてもいいですよ

昨日は新月でしたね。女性は月の満ち欠けに影響を受けると言いますが、女性はどんな一日でしたか?男性の方は、周りの女性はどんな風に過ごしていましたか?私は、珍しく感情を爆発させました…。わかりやすく言うと、夫と喧嘩したんですね。そんな事があっても、その後、悪い方には行かないです。家族がもっと仲良くなります。喧嘩したら、どんどん仲が悪くなって、ついには離婚?というのはおとぎ話です。

昨夜はそんな騒動のあと、雲が多かったですが、海の方は星が見えるかも(新月は星が一番輝いて見えるというのもあり)、と言う情報が出ていたので、夜のドライブに行って、久しぶりに自然を感じました。星は全く見えませんでしたが、雲が力強くうごめいている姿に自然の力強さを、暗がりに白んだ雲と一緒に見える建物の影に哀愁を感じました。

冷静でいられなくなる、賢い女性でいられなくなる、感情を表に出すのはみっともないな、と心配している賢い女性の方々。もちろん、友だちや仕事で付き合う人にそういった面は殆ど出していないと思いますが、家族には少し甘えて、感情を出してみるのは悪くないと思います。

もしかしたら、旦那さんの言うことが正論すぎて、「あれ、なんで私怒ってたんだろう」って思うかもしれませんが、状況は素直に受け入れてくださいね。「正論ばかり言って、偉そうだー!」って、もう一度怒らない事がコツです。

それで、色々整理すると、本当に嫌だと感じたことが1つとか2つとか、残ると思います。そこだけ、最後にこういうポイントで感情的になったという理由と、こうして欲しいということや、私はこういう事を大事にしている、ということなどを伝えてみてください。それでおしまい、になると思います。で、旦那さんが急に優しくなったり、家事に協力的になったりして不思議です。

因みに、我が家の娘2人はその間、すっごく楽しそうに自分の世界で遊んでいました。長女の方が「あのさ、もうちょっとボリューム落としてくれませんかー?」って最後に言ってました笑。 

でも、もっと良いのはちゃんと、いつも、少しずつ正直に伝えたり、話し合ったりすることですね。変に隠し事しようとか、自分はこうしたいからと相手をコントロールしたりすると、一気に溜め込んだものを吐き出すタイミングが必要になってくると実感です。

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ヘリオセントリックな星読み

私は元々、色々なことを学ぶことが大好きです。暇さえあれば、何かの講座に申し込みますし、先日は、友人のウェビナーに参加し、信頼している人から何かを伝えてもらうのってとても楽しく、自分の中に情報がすっと入ってきて、知識が構築されていくのがとても心地よく幸せでした。

なので、いつもはおなかいっぱいになってしまうのですが、思いがけず、時間の余裕が出来たころ、「講座をはじめます」と届いたお知らせが、数ヶ月前に申し込んでいた星読みの講座でした。

こちらは、なんと、無料で生計が建てられるくらいのレベルまで星読みを深められるというものです。2019年の9月に、はじめて自分のホロスコープを観てもらって以来、かなりおもしろいなと思っていた矢先に目にした講座でした。

学び初めて、2ヶ月ほどが経ちました。ここで学ぶ「振り返り星読み」という方法を使って、自分の星を初めて読みました。私は、金星と縁があるのですが、「幸せでいるだけでいい」「ゆっくり、じっくり、味わえる才能」がある、という事が分かりました。それ以来、すごく心地が良くて…。とくに「じっくり、ゆっくり、味わう」の部分。私は毎朝、娘のお弁当を作ります。決まった時間には起きて、「だいたい、このくらいの時間までには終わらせたいな!こういう手順で進めよう」と「効率よく」を念頭に、というのが今までの進め方でした。それが一転、「自分の心地よいペースで進めよう。時間はかかってもいいし、その分楽しんで作れるし、恐らく時間内に終わるだろう」となったのです。ちゃんと、お弁当は時間内に出来上がりました。特に何が有るわけではないんですけど、その手順のひとつひとつが楽しくて、朝から大変充実したという出来事でした。

星読みは、よく占いみたいに「自分の未来ってどうなるの?」「どんな道に進めばいいの?」「どんな人と結婚するの?」という質問に答えるようなイメージが強いかと思いますが、私が考える星読みの役割はちょっと違います。

私たちは、少なからず他人に合わせて生きてたり、「◯◯しなくてはいけない」という思い込みの中で生きています。そうしていると、本来の自分の「こうして生きていたい」を無視した人格が出来上がり、「私は◯◯な人間なんだ」という自分自身に対する思い込みが生まれます。

その思い込みを手放すためのお手伝い、新しい側面を見てみようという提案が、星読み、特にこの「振り返り星読み」という方法なのだと思います。「自分にはこんな一面があったのか」ということを情報として入れると、その後の出来事に対する解釈が変わります。それは、「あ、私はやっぱりそういう一面があるんだ」に変わり、自然と「私はこんな人間なんだ」ということを受け入れられるようになる。そうすると、より自分にとって心地の良い自分で生きられるようになる。セルフイメージを変えるためのお手伝いです。

学びはあとちょっと。これから友人や大切な人の星を読むのがとっても楽しみです。

興味を持っていただいた方は、こちらから覗いてみてくださいね。

https://sp.iroironoiro.life/helio_bonus22
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『野生のおくりもの』(早川ユミさん著)読了

意識的に本に出会っていくと、好きな出版社が増えていくのも嬉しい事の一つです。アノニマ・スタジオさんの本を先日購入した際、挟まっていた本の案内から見つけたのが『野生のおくりもの』でした。著者の早川ユミさんは、布作家さん。この本に出会うまでは存じ上げておらず、”縄文”というワードに惹かれて読んでみようと思ったのです。手に取ると、表紙・裏表紙に拡がるミロコマチコさんの絵。それだけで、なにか特別な本だと感じます。0歳の娘はミロコマチコさんの絵に興味津々です。本の中から、心に留めたいことを記していきます。

パナリ焼と死生観

パナリ焼、という沖縄県八重山諸島の新城島に伝わる焼き物のツボです。どんなものかと調べてみると、表面の素材は土そのもの。形はまあるくて、ツボとわかる口の部分がほんの少し存在する、という意外にも素朴なものでした。でも、なぜかその形状に惹かれる、ずっと見ていたくなる、不思議なツボです。

ツボとは、花の蕾に似ていることからツブと呼ばれていたと、日本書紀には記されているとのこと。また、アイヌ語にもよく似たツプッという言葉が有り、これは部屋・空間、そして子宮のことを表すのだそうです。ツボを作るときの姿勢がうかび、丹田のあたりで形になるツボの姿、女性の子宮と一体となって生まれてくる様子が目に浮かびました。

また、このパナリ焼は骨壷にも使われていたそうです。骨壷は、母胎回帰、死んだらまた子宮の中に生まれて帰ってくるという思想に基づくものだそうです。昔の人は、輪廻転生の死生観を持っていたことがわかります。

おくりもの経済

資本主義の前には、物々交換や市場が発展しましたが、その前に存在したのは”おくりもの経済”だそうです。モースという方の『贈与論』という本に書かれているもので、たくさん作物が取れた人は、少なかったひとにあげる。もらった人も、次にたくさんとれたら、足りていない人にあげるという循環です。

お金のことが好きな人、嫌いな人、それぞれいますが、お金を好きになった人(特に、最初は興味がなかったり、お金に苦労した人で)の中には、循環、ありがたいものだと言う人がいらっしゃいます。このおくりもの経済のようにお金のことを捉えていらっしゃるんではないかと、その中にあるありがたさを時代を超えて感じ取った人に、こうした感覚が芽生えるのではないかと思いました。私は、お金のことがようやく身近なテーマとして捉えられたばかりで、ここまで至っていませんけれど、もしかしたらそういうことかも?希望の光が差したような感覚です。

女性というまあるい存在

この本を通して、貫かれているテーマの一つは女性だと感じますが、田口ランディさんとの対談の中に出てきた”女のひとには女のひとのまるいことばがある”ということ。男のひとの言葉とは枠組み、理論を使って説得しようとするものになるでしょうか。情報や、データで示されても、わかるけれど、納得できない、共感できないということは、女性には特にあるのではないかと思います。よく夫が「なぜ、明確なデータが出ているのに、やらないのか?」「会社員なんだから、それくらいややって当然」と言っていますが、夫の言い分もわかるけれど、「やらない当事者」の気持ちもよく分かります。

私の活動先の幼稚園という場所は、女性ばかりの職場です。昔は一人だけ男性の先生もいましたが、今は先生は女性のみ(運転手さんなどは男性もいます)。そして、こうした幼稚園や保育園で働く女性たちは、言語での表現が苦手だと言われています。もしかしたら、本来苦手なわけではなく、男性の言葉、言語に合わせるのが苦手だということかもしれません。うまくそこを渡り歩いて、橋渡しをできる人はそう多くはいないのかもしれません。

ミロコマチコさんの絵と野生というキーワード

とにかく、この本のタイトルとミロコマチコさんの絵のイメージがぴったりと合いすぎていて、読んでいるあいだ中、「野生」という言葉が私の中に居座り続けていました。あまりにも自分の中に「野生」が居座りすぎて、「あれ、この本のタイトルなんだっけ?」と見返して、「あ、『野生』って入っている!」と驚いたので、文章とミロコマチコさんの絵が発するメッセージ性の強さなのだと思います。そういえば、この本の表には、タイトルが書いていないのでした!

来月に出産を控えた友人から「もう3回目だから、少しは落ち着いて生みたい」とメッセージが来たので、「そんなに落ち着いて静かに生むものじゃなくても、取り乱しても生き物らしくていいんじゃない」というようなことを伝えました。出産で発するエネルギーは、まさに野生そのもの。痛かったら痛いと言えばいいし、そのまんまの姿で別に大丈夫だし、信頼できる助産師さんは、きっとそれを受け止めてくるはずです。

他にも、アイヌ語のありがとうは「自分を殺す」という最高の尊敬語、山崎ナナさんという会津木綿を継承した方、コミューンを提唱するアリシア・ベイ=ローレル、ガンディの思想する布、読めば読むほど心に響くことが溢れている本でした。

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「あわい」の時間

昨夜は、写真家 齋藤陽道さんと医師 稲葉俊郎さんのトークショーへでかけてきました。排泄の話から、稲葉さんが齋藤さんの写真から感じた「あわい」の話へ。一夜明けて、あれは夢だったのではないかという、まさに「あわい」の夢心地な時間でした。

齋藤陽道さんの写真との出会い

齋藤陽道さんの写真を、意識して初めてみたのは、2019年夏の原宿・デフアート展でした。複数の作家さんが作品展示している中で、唯一、名前と作品を覚えていたのが齋藤陽道さん。当時妊婦だった私は、赤ちゃんや、お母さんと赤ちゃんの写真に惹きつけられ、衝撃を受けて、だれの作品なのかとキャプションを見ました。普段なら、メモでも取らないと忘れてしまうのですが、本当になぜだか、忘れずに覚えていたのです。

私は、本は多く読む方だと思いますが、雑誌はあまり読みません。毎月買っている「暮らしの手帖」に絵本や子育て関係の雑誌をたまに買う程度です。その僅かな雑誌に、毎回のように登場してくださるのが齋藤陽道さん。写真と文書が載っています。「あ、この方は原宿で見た写真の方だ」と思い出し、「暮らしの手帖」での連載も楽しみにしていました。

ある時、全てを言葉で伝えなくてはいけないこと、それを強いること、言語情報が自分に浴びせられることにひどく疲れていました。同時期、子どもが言葉の勉強をはじめて、家で「あいうえお」の勉強をしているのを見て、寂しいような、とてつもなく悲しい気持ちになりました。言葉は、便利な道具、言葉で伝えあう必要性はよくわかっているつもりですが、言葉第一だと言われているようで、悲しくなったのだと思います。

そのとき、齋藤陽道さんが同じような内容で雑誌に寄稿されていたことを思い出し『声めぐり』という、著書を読みました。言葉に対する答えが書かれているわけでは有りませんでしたが、すっかり齋藤陽道さんファンになりました。過去に、ブログにもそういえば書いていました。(過去記事「今日は触覚の日」

なぜか、アーティストの方の書く本を読んで、すごく好きになるということが多いです。高木正勝さん、寺尾紗穂さんも、本を読んでから特別な思い入れが生まれました。

「あわい」が答え

言葉疲れ、不安から一ヶ月以上経って、参加した昨夜のトークショー。実は、昨年末の恵比寿 写真美術館でのトークショーにも行きたかったのですが、来客の予定と重なり見送ったのでした。その時参加できていたら、今回はなかったかも。と思うと、偶然のような必然の導きでした。

稲葉俊郎さんが子ども時代から感じていた、「言葉」からこぼれ落ちたものへの危機感。言葉にできないもの、言葉にならないもの、言葉では伝わらないもの、それが「あわい」。覚醒している状態、言語、規律、そのどれでもないもの。無意識、眠りの時、身体・生命そのもの。こうしたものを、子どもの頃にはしっかりと感じられたはず。言葉にできないからこそ、そのなにかが常に一緒にいたはず。それが失われると、バランスが崩れてしまう。それが身体にも露呈する。私が、子どもが言葉を学んでいるときに感じた不安はこれでした。

意識・無意識は、どちらも必要なのですが、「あわい」だけが足りない状態で不調をきたすことが、今の人間には多いのだと思います。正体が分かれば、恐れることでもなく、「あわい」を感じられる体験を、沢山、こどもと一緒にしたい。「あわい」の蓄積、培いをしたいと思いました。

写真に感じる、惹かれるなにかは「あわい」だったのですね。お二人でのお話だからこそ、紡ぎ出せたものだと思います。帰宅後が、忘れずに稲葉俊郎さんの本を2冊注文してから眠りました。

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